教えすぎない
おはようございます。ただいまこちらは午前8時です。日本だと15時でしょうか?
今回の記事は若干今までとテイストが違いますが是非読んでいただけたらと思います。
今まではフィンランドで見たものを基に、教育システムについて言及してきましたが、今日は少し違う視点、
英語教師(まだ教職生なんですけど)の視点から書いていきたいと思います。
2年前でしょうか、とあるワークショップで「教えない授業」で有名な山本崇雄先生のお話を聴きに行きました。前半を使って模擬授業をしていただいたのですが、驚きました。
本当に何も教えないんですよ。
1. 教科書の写真のコピーを配布→ペアでどんなトピックか話し合う
2. 音読
3. サイトラ(英語読んでパートナーが日本語訳、もしくはその逆)
4. 縦横ドリル(ある特定のストラクチャーの文法を習得するためのオーディオリンガルアプローチ)
だいたいこの4種類だったと思います。(2年前で記憶が曖昧。。。)
これを受けたときの感想としては
「先生がファシリテーターだ。ほとんどが生徒の活動時間。素晴らしい‼️、がインプットが雑すぎないか?外くれはいいけど実質殆どの生徒ついていけないんじゃないかな…」でした。今もですが当時はさらに尖っていた私は「パフォーマンスとしてはいいけど本質的な学習密度は薄い。参考にならん。」
てな感じで。。。
まあそんな感じのスタンスで🇫🇮にやってきました。こちらでは運にも恵まれ今までそれなりに授業見学に行かせていただきました。最初に見学行けるってなった時はめちゃくちゃ興奮してましたね。
教育でフィンランドといえばもう伝説ですから。
こっちの先生方は専門性も高いしさぞ素晴らしい授業だろうと期待も高まりました。
ところが見学行ってみると拍子抜けしたんですよね。基本的には教科書に沿って進めるし、生徒にパソコンで英語の学習モジュールをするだけとか、ゲームをするだけとか。先生方適当やな。とか思ったりしたんですよね。もちろん先生が主導でしっかり練られている授業も見ましたが、全体的に放任的すぎるというのが1番の感想です。
じゃあ生徒の学びが少ないのか、というと違うと思います。
自分たちで教えあってどんどんテキスト進めるんですよ。グループワークもダレずにやるんですよ。グループワーク中は生徒は廊下に出て行ってやるパターンも多いのですが、先生の監視の目がなくてもやります。一旦ディスカッションをやらせると盛り上がります。
生徒の学習態度は日本人と結構異なっています。
それで調べてみますと、フィンランドのNational Core Curriculamの中の重要な原理としてContructivism(社会構成主義) が挙げられています。
It says that people construct their own understanding and knowledge of the world, through experiencing things and reflecting on those experiences.
Retrieved from Constructivism as a Paradigm for Teaching and Learning
「社会構成主義において人間は経験と振り返りを通し世の中に対する理解、知識をを構築する」
要は学習において実際に経験するのが重要だよ、ということです。
フィンランド ではこの原理にのっとって教育が進められているので、単に机に座って45分間先生の話を聞き続けるというのは少ない印象です。主にグループワークやプロジェクト型学習にさらされ、このような学習態度が育っていくのですね。
やばい、話が逸れた😓
話を戻します。2年前山本崇雄先生が講演でイギリスでの大学院時代の素敵な体験をお話ししてくださりました。ある日彼は教授に「教えすぎだ」と言われたそうです。そこからハッとして教えない授業につながっていったそうな。
この話当時は「とは言っても教えないのは裏を返せばただの怠惰ではないか」と思ったのですが今なら理解ができます。
フィンランドの先生型は日本人の私からみると生徒に自由にさせすぎなようにどうしても感じてしまいます。でもその結果生徒の裁量が増え、学びの質が高まっているように感じます。結局学びてが学んだかどうかですから。研究授業でどんなに整った授業を展開して見せたところでそれはパフォーマンスであって教員の自己満足に過ぎないと思うのです。
今後授業を作っていく際は学びの質、そしてそれが断続生があり、生涯学習の基本軸として生徒の役に立つよう意識し、今後も精進していきます。