Noblesse oblige 〜高等教育を受けた人間の使命〜
こんにちは、Reducator🇫🇮です!現在絶賛教員採用試験対策中です。勉強自体は思ってたより楽しいですが、過去問で問われているものが単なる言葉遊びみたいなところがありそこに対してやる意義を見出せなかったりして…
昔はすんなり受け入れてたんですけど、やはり学びに対しての認識が変わったのだなぁと実感。
さて今回は僕が大学生活を送る上で自戒としていることをこの場を借りてお話しさせていただきます。
皆さんは、なぜ大学に行くのか?考えたことがありますか?
僕は外大生ですので、このトピックについて友人と話すと
「英語が話せるようになりたいから!」
という意見が非常に多い。もちろん僕にもその願望はありますし、外国語の学習動機としては多数派でしょう。
しかし果たして「英語を話せるようになる」ためには大学へ行かなくてはいけないのでしょうが?
現代ではオンラインで英語学習のためのマテリアルは揃っています。文法ならスタディサプリ、リスニングならYouTube, オンライン英会話だってあるし、カフェ英会話で実際に対面で英会話の練習ができます。1人じゃできないなら専門学校があります。
外大はなまじ外国語に興味のある学生が多いですから、しっかり勉強して、そこそこ会話もできるようになる。しかし語学力しかないので就活時に苦労するのはよくあることです。
これは外大のケースですが改めて問います。
なぜ大学にいくのでしょう?
2年前の春、必修の授業で先生から”noblesse oblige”という言葉を投げかけられました。聞いたことありますか?
訳すと「貴族の義務」という意味だそうです。
ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige フランス語: [nɔblɛs ɔbliʒ])とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。
Wikipediaより引用
ざっくばらんに言うと、
貴族は社会、一般市民を手助けしなくてはならない、ということです。
僕は大学へ進学するのは貴族の営みだと解釈しています。
元々、高等教育を受けるのは特権でありました。言わば働いて社会貢献をする期間を延ばすのですから、学問の追求は贅沢な営みです。現代でも言えることではないでしょうか。
その必修の授業で先生は
「貴族である君達は英語をアカデミックな場でどう使うかを考えなくてはいけない。ペチャクチャカジュアルな日常会話ばかり練習したいのなら大学じゃなくて専門学校で良い。
大学で英語を学ぶなら最強のリベラリストになりなさい。本をたくさん読んで教養を深めなさい。」
この言葉は僕の心に響きました。以来僕は、外大で教職課程をとる意味について考え、単にペチャクチャスムーズに話せる英語を磨くのみではなく、言語習得、教授法、教育全般について「専門知識」を増やし、思考の基盤を形成することを意識するようになりました。明らかに入学前と現在では勉強に対する考え方が変わりました。
なにより、貴族として四年間のモラトリアム期間を頂き、卒業後、どう社会に貢献していくか、教育に貢献していくかを考えるようになりました。
大学に行くものにはnoblesse obligeが伴うべきだと思っています。卒業後は大学の学びを社会に還元していくべきだと思っています。その意識を持って大学生活を送ればバイトと飲み会と楽単の授業のみの大学生活にはならないはずです。
現代では大学入学へのハードルが下がっています。同調圧力的に進学を選択する学生も多いと思います。だからこそ、こんな時代だからこそ私は
「なぜ大学へ行くのか?」
を進学を希望する高校生、現大学生に問うべきだと思います。
私は将来の教え子にnoblesse obligeを問うでしょう。
〈追記〉
この話をブログでしようと思ったきっかけが先月ありました。
私の恩師が半年に一度開催する「大人の道徳」という授業があります。対象は彼が中学校で今まで教えてきた、大学生や社会人です。
社会人の方の多くは大学へ行かずに高校卒業後就職した方や、主婦になられた方もいらっしゃいました。
その授業の中で話題は政治になりました。
ある参加者が選挙に行っても自分の意見は反映されないから行かない。それに対し選挙は行くべきで議論が過熱化しました。
そこで僕が例として選挙に行かなくても最近はオンラインで署名活動が出来て、自分の声を国に届けやすくなっている事例を紹介しました。それに対して、そんなの知らなかったという声が多かったです。
二項対立的に言えない部分ではありますが、大学へ行くことでこういった情報を得られたり、考える機会が存分にあります。
そして、なにより僕たち以上に主婦や社会人の方々は世の中に対して息苦しさを感じてる印象を持ちました。
やはり僕ら大学で学んだ物はそういった人たちのために社会をより良くすべく学び行動しなくてはならないと痛感しました。