文系大学は意味ないのか?いや、最高の学びの場でした。
教採期間中はブログ更新やめていたのですがどうしても書きたいことが出来たので書きます。今一冊の本を読み終えドーパミン分泌されまくっているのです。この興奮冷めやらぬうちに今回だけは特例で自分にブログ更新許可を出しました。
ここから本題
昨今、日本では学問を学ぶ場としての大学が軽視され、学問が形骸化し、大学は学歴獲得の手段という側面が強くなっているように感じます。大学をENJOYしてきた私から、学問っていいよね〜と思った出来事を綴って行こうと思います。
フィンランド留学中に学校観察を繰り返していた私は、フィンランドの教育の良さを学び、日本の教育に何かしらの示唆ができないかと考えていました。フィンランドの教員の生き生きした様子に目をつけた私は、社会学に目をつけ、学校を観察することで、日本とフィンランドの教員の違い、学校文化の違いに着目した研究をしようと決めました。
帰国後、この『〈ヤンチャな子ら〉のエスのグラフィー』を使い、社会学研究がどういうものなのか
学びました。すると社会学という学問を通して、自分の中に「新たなものの見方」が増えたのです。
それは、機能的な議論を社会学的な議論に変換していくことで社会問題の解決の手段が増えるというポテンシャルがあるということです。
貧困家庭をどう支援していくか議論する際、「生活保護の受給額を増やす」、「保護者に情報提供をする場を設ける」と言った支援のための機能を充実していくような提案ができると思います。しかし、生活保護を受給するということはある種自身の家庭が、平均的な家庭から「逸脱」しているということを認めることになるのです。この場合、生活保護という機能(制度)が存在しているにも関わらず、その逸脱性を認めたくない、または生活保護を受けることに対する社会からの侮蔑的な視線により生活保護を受給できない、と言ったことが想定されます。
ここで社会学の出番です。そうした機能をどう届けていくか、受け取ってもらえるかを考えた時にもっと個々人の心の動きに寄り添って、社会保障を受けやすい体制を社会でどう作れるかと言った話に持っていくのです。
私は教育をより良くしたいと考えています。教育をよりよくするには部活を廃止し、教員の時間の確保が先決だと主張する方も多くいます。機能的な考えのいい例ですね。ですが、教員の中には、部活をやらず、授業に時間を割きたい人もいれば、部活に大きな教育的意義を見出している方もいます。また、生徒は部活に対してどう思っているか、保護者は?部活を維持した時の教員の勤務時間の問題は?その教員の家庭は?
こんな風にそれぞれの立場の主張に寄り添って解決策を見出して行かねばならないのです。
社会学を学び始めてから物事を多面的に見れるようになりました。1つの事象に対して物事を色々なレベルで見ていく「癖」がついたのです。
こう言ったものの見方って社会に出てからも必要だと思いませんか?
確かに文系大学はスキル育成がしにくいエリアではありますが、逆に色々な界隈で使える不変のマインドセットが学べると僕は経験から思っています。
「学ぶって楽しいなあ!」って思わせてくれる場所ですよね。
[大きく頷いたページ]
絶対に譲れない
こんにちは。Reducatorです🇫🇮
新学期となり今年は科目等履修生として大学で勉強します。フィンランドで研究させていただいたことを論文にしてるとこです。これが忙しくて、教採の勉強もあまりできないわ、ブログも書けないわで…
時間の使い方考える必要ありですね。
先日友人と飲んでて話は部活動に。
彼は野球部出身で部活の吸いも甘いも経験。
現行の部活動の不満をいうと彼は
「お前が教員になったら子供が可哀想だな。」
「嫌なら他の仕事選べばええやん。」
…その通り。彼の言っていることは正しい。
お酒の場ですのでアカデミックな話に入るのは自己規制し、この話はそこで終了。
僕は彼の意見に納得しました。が、僕は「教員だからそれは仕方ないかぁ〜」にはなれない理由があります。
それは僕がnoblesse oblige 「貴族の義務」を有しているからです。
noblesse obligeについての過去の記事ははこちらです。
noblesse oblige、つまり僕には「社会にポジティブな影響」を与える義務があると考えています。
目の前の子供達のために自分を犠牲にすることはもしかしたら尊いかもしれません。
しかし10年後、20年後と長いスパンで考えた時その自己犠牲は質の高い教育に寄与するとは思えません。
現に各都道府県で教員が不足しています。
とある国立教育大では教員採用試験を2人しか受けない。なんてことも起きています。
教員が安心して働ける状態がまずは必要。そうすれば現在抱えている教育に関する問題が芋づる式に解決すると読んでいます。
教育の質を高めるのはそこからです。
有限性と実行可能性の両方を見なくてはいけない。
それを僕はやっていく義務があると考えています。
彼のいう通り「文句があるならやらなければいい」は的を得ています。個人の幸福の追求のためにはとても大事です。
でも、僕がやりたいのは「より良い教育の実現」です。問題点があるなら目を背けず変えていかなくてはいけないのです。
貴族としてより良い教育に携わりたいのです。
ここは絶対に譲れません。
でも彼はそんな僕の性格を知っているので応援してくれています。
お互いの意見を尊重できる関係って素敵ですよね。
Noblesse oblige 〜高等教育を受けた人間の使命〜
こんにちは、Reducator🇫🇮です!現在絶賛教員採用試験対策中です。勉強自体は思ってたより楽しいですが、過去問で問われているものが単なる言葉遊びみたいなところがありそこに対してやる意義を見出せなかったりして…
昔はすんなり受け入れてたんですけど、やはり学びに対しての認識が変わったのだなぁと実感。
さて今回は僕が大学生活を送る上で自戒としていることをこの場を借りてお話しさせていただきます。
皆さんは、なぜ大学に行くのか?考えたことがありますか?
僕は外大生ですので、このトピックについて友人と話すと
「英語が話せるようになりたいから!」
という意見が非常に多い。もちろん僕にもその願望はありますし、外国語の学習動機としては多数派でしょう。
しかし果たして「英語を話せるようになる」ためには大学へ行かなくてはいけないのでしょうが?
現代ではオンラインで英語学習のためのマテリアルは揃っています。文法ならスタディサプリ、リスニングならYouTube, オンライン英会話だってあるし、カフェ英会話で実際に対面で英会話の練習ができます。1人じゃできないなら専門学校があります。
外大はなまじ外国語に興味のある学生が多いですから、しっかり勉強して、そこそこ会話もできるようになる。しかし語学力しかないので就活時に苦労するのはよくあることです。
これは外大のケースですが改めて問います。
なぜ大学にいくのでしょう?
2年前の春、必修の授業で先生から”noblesse oblige”という言葉を投げかけられました。聞いたことありますか?
訳すと「貴族の義務」という意味だそうです。
ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige フランス語: [nɔblɛs ɔbliʒ])とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。
Wikipediaより引用
ざっくばらんに言うと、
貴族は社会、一般市民を手助けしなくてはならない、ということです。
僕は大学へ進学するのは貴族の営みだと解釈しています。
元々、高等教育を受けるのは特権でありました。言わば働いて社会貢献をする期間を延ばすのですから、学問の追求は贅沢な営みです。現代でも言えることではないでしょうか。
その必修の授業で先生は
「貴族である君達は英語をアカデミックな場でどう使うかを考えなくてはいけない。ペチャクチャカジュアルな日常会話ばかり練習したいのなら大学じゃなくて専門学校で良い。
大学で英語を学ぶなら最強のリベラリストになりなさい。本をたくさん読んで教養を深めなさい。」
この言葉は僕の心に響きました。以来僕は、外大で教職課程をとる意味について考え、単にペチャクチャスムーズに話せる英語を磨くのみではなく、言語習得、教授法、教育全般について「専門知識」を増やし、思考の基盤を形成することを意識するようになりました。明らかに入学前と現在では勉強に対する考え方が変わりました。
なにより、貴族として四年間のモラトリアム期間を頂き、卒業後、どう社会に貢献していくか、教育に貢献していくかを考えるようになりました。
大学に行くものにはnoblesse obligeが伴うべきだと思っています。卒業後は大学の学びを社会に還元していくべきだと思っています。その意識を持って大学生活を送ればバイトと飲み会と楽単の授業のみの大学生活にはならないはずです。
現代では大学入学へのハードルが下がっています。同調圧力的に進学を選択する学生も多いと思います。だからこそ、こんな時代だからこそ私は
「なぜ大学へ行くのか?」
を進学を希望する高校生、現大学生に問うべきだと思います。
私は将来の教え子にnoblesse obligeを問うでしょう。
〈追記〉
この話をブログでしようと思ったきっかけが先月ありました。
私の恩師が半年に一度開催する「大人の道徳」という授業があります。対象は彼が中学校で今まで教えてきた、大学生や社会人です。
社会人の方の多くは大学へ行かずに高校卒業後就職した方や、主婦になられた方もいらっしゃいました。
その授業の中で話題は政治になりました。
ある参加者が選挙に行っても自分の意見は反映されないから行かない。それに対し選挙は行くべきで議論が過熱化しました。
そこで僕が例として選挙に行かなくても最近はオンラインで署名活動が出来て、自分の声を国に届けやすくなっている事例を紹介しました。それに対して、そんなの知らなかったという声が多かったです。
二項対立的に言えない部分ではありますが、大学へ行くことでこういった情報を得られたり、考える機会が存分にあります。
そして、なにより僕たち以上に主婦や社会人の方々は世の中に対して息苦しさを感じてる印象を持ちました。
やはり僕ら大学で学んだ物はそういった人たちのために社会をより良くすべく学び行動しなくてはならないと痛感しました。
プレゼンテーションでの質問答えまくりまーす。
1ヶ月ぶりの更新!そして帰国後初ブログ!
今回は先日行いました「フィンランドの教育に関するプレゼン」で時間切れで答えきれなかった質問にバシバシ回答していきたいと思います😊
プレゼン参加者の皆様にはプレゼン中ここにコメントや疑問点を書き込みまくってもらいました。プレゼンが終わった頃には相当な数が溜まりました!
ここでは気になった質問やコメントに私の視点から答えていきます。
- フィンランドでは部活はないの?
ありません。スポーツや音楽活動は放課後、地域のスポーツクラブ等で行います。教員が指導に当たるということはありません。ただ日本と違ってフィンランドでは人口に対してスポーツ施設がかなり多いのだそう。そのため、日本のように学校がスポーツの主な施設というこにならないため、地域スポーツが発展しているのだと思います。
また、音楽に関しては「ムスカリ」と言って教会で音楽を学ぶ風習があります。日本では音楽はヤマハ等で習うという形で、経済的に余裕のある家庭でないと音楽を学ぶ場が制限されてしまうという現状があると思います。お金の面は詳しくはわかりませんが、ほぼかからないということを、音楽教育専門の友人から聞きました。
2. 面白い教科はありましたか?
宗教と倫理の授業ですかね。フィンランドでは主な宗教がキリスト教のルター派だそうです。その宗教を信仰している生徒向けに宗教、移民やキリスト教以外の生徒向けに倫理という授業を行います。倫理の授業では答えのない問いについてひたすら考えるという形だそうです。そして面白いのがフィンランドの先生はこういった答えのない問いについて話し合う時、生徒の意見をまとめたり、教師自身のの意見を発表しない人が多いそうです。事実、大学の授業でも授業の大半がディスカッションで先生がそれに対し明確な答えを述べない授業もありました。日本の学校で育った私は毎時間モヤモヤしたものです。一方で生徒の意見の多様性、人と違っていてもいい、ということを暗示しているように感じました。
3. 学校間格差がないと、1つの学校、クラス内の学力格差が大きくなり、授業が大変そう。先生方はどう工夫して教えているのか。
フィンランドでは「異質生徒集団方式」を採用しています。習熟度別編成でできる子できない子を分けず、多様な生徒が共にに勉強しています。フィンランドの重要な取り組みの1つが「個別対応です」。塾のないフィンランドでは勉強が遅れている子にも学校で対応します。例えばフィンランドの小学校では1時にすべての授業が終了し生徒は帰宅します。その後、勉強が遅れている子は学校に残りスクールアシスタント、時には教員が補習を実施します。学校が早く終わることのメリットですね。
4. 「落ちこぼれを作らない制度」は、出来る子をダメにしないのか?
「落ちこぼれを作らない」がフィンランドの教育テーマの1つですが、留学当初僕も同じことを考えを持っていました。がこんな研究があります。
ハヌスヘックとウイスマンは 、選別システムで学ぶ子どもと 、選別のない (あるいは遅い )システムで同程度の能力を持つ子どもたちの比較を続けたが 、どの能力のグル ープでも 、最も優秀なトップ五パ ーセントにおいてすら 、選別が遅くなることの悪影響は見つからなかった 。
選別年齢を遅くすれば貧しい家庭の子どもたちは学力が上がるように見える一方で 、恵まれた家庭環境にいる子どもたちはどちらのタイプのシステムでもレベルに違いが出ないことがわかった 。
引用元:どうして日本の15歳は学力が高いのか
この研究によると、選抜システムがなくてもトップ層に悪影響はないと結論づけています。でも日本のようなトップ層向けの大学入試があるのなら分けたほうがいいのかも。その分公平な教育からは遠ざかってしまうけど。
5.同じ教育を受けているのに学力の差が出たら生徒のやる気は無くならないのか?
その通りだと思います。ただ、フィンランドは生徒を競わせることをしません。小学校は数字による成績付けをしないし、テスト結果を順位で表すこともありません。高校に関しては大学のように授業は選択制です。日本のようにテストの点数=学力とは捉えてないように私は感じます。授業を見学した中でも事項を暗記させるというよりは、事実やデータをもとに話し合うが多かったので、「多様な回答」が認められていて、1つの解答を求める形ではないように思います。もちろん科目によりますよ。例えば英以後の授業では発音、単語テストがありました。
でも実際に授業をやらせていただいたとある学校のとあるクラスでは先生が日本の先生っぽくて行儀に厳しく、単語テストとか厳しく勉強させていました。ですから教師の信条によって異なる部分はあるでしょう。
とりあえず今回は5つ答えました。次回は続きをやるか、違うテーマで書くか…
留学の勧め
4ヶ月間の留学期間でしたが振り返っていると長いようで短かったです。内容が濃く、学びあり、出会いありで非常に充実した日々でした😊
実は留学に行こうと決めたのは大学3年生の夏前で、入学時は留学なんて行くつもりはありませんでした。兄弟が多く経済的にも決してゆとりがある家庭ではなかったからです。
ですが今は留学という決断をして本当に良かったと思っています。フィンランドでのこの4ヶ月間で自分が何をやりたいのいか、どんなキャリアを歩んでいきたいか再確認し、昇華できました。
留学は大きく成長しうる機会になり得ます。特に大学生は時間があるのでぜひお勧めします。
そこで、今回のブログは、留学の勧めと、題して約半年間の留学を終えた上で、
留学がなぜおすすめか?留学を最大化するにはどうすればいいのかについて、自身の振り返りを含め、話していきます。
*ここから先は完全に僕の見解です。ご了承ください。
なぜ留学がお勧めか?
- コンフォートゾーンの外に出れる
コンフォートゾーンは文字通り自分にとって居心地のいい場所ですが、このゾーンに留まる限り成長は見込めないと思っています。コンフォートゾーンを飛び出し、辛い体験や悔しい思いをして徐々にそのゾーンが広がっていき、自分のできることが増えていきます。
海外に行っていつも一緒にいる友達が少ない、またはいない、食文化、人との距離感、言語が日本と異なる環境に身を投じることで必然的にコンフォートゾーンから出ることになります。海外に出ると自分が成長できるスペースがたくさんあるのです。
- 出会い
自分とは異なる文化で生きてきた人、異なる思想、信念を持つ人との出会いが多いです。外国人に限らず、日本人含めです。
僕の専門は英語教育ですが、留学生の中には音楽教育から教育を改革しようとしてる人がいたら、スポーツの観点から教育向上に繋げうるアイディアを持ってる人もいました。
他国の友人たちとも仲良くなり中には留学後も関係が続きそうな人たちもいます。
こちらで新しくできた友達と語って語りまくることで自分に新しい視点ができたように思います。やはり人から学ぶことって多いんですよね。留学中は出会いが豊富です。素晴らしい出会いがたくさんあり僕は恵まれていたと思います。彼らとの出会いは一生物でしょう。
- 当たり前を疑う
今までの当たり前が当たり前じゃなくなります。
こと学校教育において、伝統的に続けられているけど、果たしてそれは重要なのか?って思うことがたくさんあるのですよ。
マスク、下着は白のみ。授業を圧迫する量の行事。家庭訪問。PTA。制服。などなど。
フィンランドの小学生がピアスをして奇抜な髪型をしているのを見ると日本の学校の校則がバカらしくなってきます。生徒はがんじがらめにしなくても立派に育っていくと思うのです。
自分の中の当たり前、常識がどんどん崩れました。より批判的になれたと思います。
今後本気でアカデミックな分野で活躍していくなら必要な力だと思います。
当たり前を疑う。
- 自分だけの武器
フィンランド教育に関しては日本語でも書籍が多数出ています。その素晴らしさを讃える内容がほとんどですがそれらは本当に本当でしょうか?本で書いてある世界と実際の世界の誤差はないのでしょうか?
僕は教員の労働環境、業務に関して観察調査を行いました。数人の先生方に一日中張り付いてフィールドノートを取り続けました。この調査以外にも学校観察に何度も足を運び、実際に自分が小学生相手に授業を行う機会もありました。4つの学校に赴き、少なくとも10回以上は観察させていただきました。
僕の感想としては、実際のフィンランドの学校は日本で語られている理想郷とは誤差があります。特に日本人からしたらかなり賛否が分かれる教育だと思います。ただ、個人的には、フィンランドは素晴らしい教育システムを確立してると思います。僕は日本でもフィンランドのような教育を目指していくべきだと思います。PISAの順位はおそらく落ちるでしょう。でもそんな点数より、生徒の学びの姿勢が圧倒的に違って見えました。(学校差、クラス差はあるとおもいますが。)
フィンランドに約半年滞在するという利点を生かし、他の誰もが得ていない経験を僕は持っています。僕だけの学びを確立し、自身をよりユニークにできたと思います。僕だけの武器を得ました。これが留学の中で1番大きい成果だと思います。
ちなみに、僕の体験をシェアするために1/30に大学でプレゼンを行います。神田外語大生で興味のある方は是非😊
留学を最大化するには
留学を終えてみて、こうしておけばよかったと思うことがたくさんあります。もしこれらを出来ていたならフィンランドでの学びの質がさらに高まっていたでしょう。嘆いていてもしょうがないので現在留学中の人、これから留学に来る人のためにアドバイスです。
- 日本でできる英語の勉強は全てやっておく
海外の「大学」で勉強できるのはとても貴重です。僕の中の大学の定義は、アカデミックな知識、体験、そして自分の興味、好奇心を探求できる人生で最も自由な期間、です。
そのため、個人的には英語の授業を取りすぎるのはもったいないなあという思いがあります。もちろん留学の目的は人それぞれですので、これはあくまで僕個人の意見です。
ただ、英語に関しては日本でもかなりあがると思います。スピーキングも例外ではありません。
スピーキング練習したいなら独り言をすればいいし、バイトのお金でオンライン英会話やればいいし、今なら世界中の人と無料でチャットできるアプリもあります。ネットがこれだけ充実し、国と国との境目が溶けてきています。簡単に日本国外にアクセスできます。
リスニングだってYoutube使えばいいし、TOEFLやIELTS教材も充実してます。
根気と継続さえできれば日本でも英語はかなり上がります。
外大だから〜と言われるかもしれませんが、外大でも上位層の学生ははめちゃくちゃ努力してる期間が必ずあります。大学の講義受けてるだけでは全然英語力なんか上がりません。
僕の友人は4年間毎朝7時に大学へ行き、図書館が閉まるまで勉強してます。本を数十冊、いや数百冊も読み、時には窓から放り投げたくなると言っていました。
僕の後悔は彼のように愚直に勉強していなかったことです。自分が楽しいと思うことしかやっていなかったので単語力、リスニング力が留学中ネックになってしまいました。そのせいで講義内容がイマイチ把握できないこともありました。もっと勉強してからくればよかったなぁと強く思います。
- 学びたいことを明確に
これが留学前にあるかでスタートが変わります。学びたいことが明確なら、留学前にその分野について日本で勉強できますよね。予備知識がないと半年、1年の留学では学びの質が高まらないと思います。英語に関してもそうですが、基本的に日本でやれることはやっておくべきです。フィンランド教育に興味があるなら基本的な体系知識は必要なので本を読んで対策ができます。僕はある程度学びたい内容が決まってたので事前に本を読むことができました。今となってはそれが生きています。読み物から学べることを学んでいたおかげで観察調査に踏み出せたというのはあるかもしれません。
- その国で学べることを明確化
学びたい内容が明確化しているとどの国に留学すればいいか定まります。僕がアメリカやカナダといったメジャーな留学先を選択しなかったのは、非英語ネイティブ相手にCLILという英語教授法をどのように施せばいいかを学びたかったからです。(留学中、興味が多少変わりましたが。)
なぜフィンランドに行くのか?なぜドイツなのか?なぜアメリカなのか?その国で何を学べるのか?何を学ぶと貴重なのか?
ここを留学先を選定する段階で見れてるといいですね。
まとめ
最後に、交換留学は可能なら1年をお勧めします。
僕の場合、半年でやっと授業での学生、先生の役割、求められている学生像に気がつきました。あと半年いれるのならそれらを踏まえ、それぞれの講義の準備をより正しくできたのではないかなーと思います。
大学生活の集大成と思っていた留学。終わってみるとむしろこれは今後の長い人生の始まりだったかのように思います。
もっともっとがんばるぞい‼️
ICT使用における教育的意義は?
留学もいよいよ最後の急坂に差し掛かりました。一昨日までラップランドに旅行に行っていました。サンタ村で有名なあそこです。素敵なとこなのでフィンランドに来た際は是非!
さて日本では現在ICT機器の使用が次期指導要領の肝となっています。
•情報活用能力の向上
•主体的対話的深い学びのサポート
が文科省の示す主な目的です。
(引用:http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/04/06/1403502_1.pdf, 2ページ)
わたしのホストファザーは小学校の副校長なのですが、ある日観察調査で彼の仕事を見ていた時、休み時間に来年度の予算をどう使うか考えていました。びっくりしました。彼はその予算で現在のICT設備を全てBluetoothにして、電子教科書を生徒に配布したいと言っていました。
ICT設備の充実度はフィンランドの小学校では重要度が高まっているようです。
これは教室にある先生方のデスクです。全てのホームルームにパソコン、ドキュメントカメラ、スクリーン、プロジェクターが配置されています。日本とは違いコアカリキュラムと財源の使い道が一致しているように思います。
何事も新しいことを導入する際考えなくてはいけないのはその「見込みの効果」です。
今回は学校観察を通して学んだICT活用の効果、利点について話していきたいと思います。
1. 楽しさのスパイス
この小学校では校長先生が開発した、読解力を鍛えるアプリを授業中に使うことを各先生方に奨励しているようです。指示文を読んで、それに従ってキャラクターを動かしゲームをクリアしていくというものです。狙いとしては単調になりがちな文章を読む活動を生徒が楽しくできるようにするというものです。
2. 情報検索力
今では携帯やタブレットで欲しい情報にピンポイントでアクセスできます。今や情報が身近にあって、正しい検索ワードを入れれば情報がゲットできる、ということを生徒が理解できるというのも大事です。
3. プロジェクト型活動との相性が抜群
ホストファザーはプロジェクト形式を授業に導入することが多いと言っていました。以前にも話したEurope projectはその例です。自身で調べた内容を無料でポスターにしたり、動画にしたりできます。ICTによってプレゼンのハードルがぐっと下がったように思います。
4.チームワーキングスキル
プロジェクト型が増えると当然グループワークも増えます。役割分担や、議論の進め方、チーム内での動き方などは社会に出た後重要なスキルです。
わたしの専門である英語教育に関してもICTは活かせる部分が多くあります。
1. ”Dragon Dictation”の音声認識機能を使った発音トレーニング
2. YouTube を用いて実際の英語話者の動画を見る
3. Online英会話で会話体験
などなど、メリットが多いです。
ただ、これだけ魅力的な機能やソフトがあると、それを使うこと自体が目的化してしまい、教育効果が薄くなってしまうことが懸念されます。鍛えたい力を念頭においてその目的に沿うようなソフトがあれば使う、というのが大事ではないでしょうか。
変形労働時間制
12月。授業はほとんどなかったのでブログ書いたりなんやかんややりたかったのですが午前は9時あたりまで外が暗いのと寒いのとで家でゴロゴロする生活が続いてました。流石にあかん!と思い記事を書いています。
今回は
変形労働時間制
が学校現場に導入されるとのことでその批判をすべく記事を書きました。というのも残業時間を減らすことを目的にずっと議論されているにもかかわらず、あまりにもロジックが狂っているので。
基本的な仕組みについてはこちらからhttps://roudou-pro.com/columns/35/ 調べてください。
変形労働時間制(へんけいろうどうじかんせい)とは、労働時間を月単位・年単位で調整することで、繁忙期等により勤務時間が増加しても時間外労働としての取扱いを不要とする労働時間制度です。 ただし、変形労働時間制の場合でも法律で規定された労働時間を超えた分は残業代として支払わなければなりません。
例えば現在労働基準法では週40時間、1日8時間と労働時間が定められてますが、変形労働時間制の下では年間の労働時間平均値が週40時間ならオッケーですよということになります。なので例えば学期末の繁盛記は1日10時間、2時間増やした分は閑散期に1日6時間だけでいいですよ、が可能になります。
僕はこのシステムの導入はまったく意味ないと思ってますしドヤ顔で「これええアイデアやろ〜」ってされてるのも腹が立ちます。労働時間を減らすという目的と手段が一貫していないからです。
これが教員の労働時間を減らすというロジックのおかしなところ
1)そもそも常に残業状態
文科省による勤務実態調査によると中学校では1日あたりの勤務時間は11時間です。
引用元:
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/30/09/__icsFiles/afieldfile/2018/09/27/1409224_003_3.pdf
しかも持ち帰りの仕事は含んでいません。トータルでは更に多くなるでしょう。
なので変形労働時間制が導入されると「11時間働いても残業じゃないで〜お前ら文句言うなよ〜」が通用してしまいます。残業が肯定されてしまいます。
2)有給いつとるの問題?
教員の仕事の性質上、有給が取れるのは長期休暇、特に夏休みになるでしょう。多くの教員がこの時期に有給を消化すると思います。
11時間毎日働いているとすると追加の労働時間が月で約3時間x 20日=60時間となります。年間だと更に増えます。となるとこれらの時間が夏休みに労働時間を減らす分にあてがわれるので、システムに正しく従うと教員は夏休み学校へ行かなくていい計算になります。となると有給はいつとるのんでしょうか?授業日は基本的には不可能ですし。。。。。しかも夏休みは研修など意外とやることが多いと聞きます。部活動も全く行わなくていい計算になりますが本当にそれでいいんですね?
3)そもそも時間の管理では多忙は解決しない
業務量が多すぎるのが多忙を招いている主な原因です。業務量がどんどん増えているのに時間の管理の仕方を変えただけでごまかそうとしているのが見え見えです。
業務量の縮小とシステムの効率化。この2点が鍵でしょう。フィンランドの例でいうとWilma program というものがあります。こちらはまたの機会に
なぜ僕が教員の労働環境に対して敏感かというと、私が自分のプライベート、家族、友人が人生において1番大切であると感じるからです。仕事に全てを費やすことを当たり前に用に強要する国の態度、労働環境に憤りを感じます(まあ僕のエゴですね)。僕の友人は将来優秀な教員になりそうな人が多いです。授業がうまい人もいれば、共感生が高く生徒のためになんでもしてしまうであろう人もいます。教師として優れた人格、技術を備えた彼らが最高のパフォーマンスを発揮できるよう外から手助けができたらな〜と思うばかりです。
そして何より教員の労働環境の改善は芋づる式に教育を取り巻く問題を解決しうると強く信じています。私自身そう思っているので誰かに変えてもらうのを待つのではなく、自分で動いていきたいです。
口だけじゃなくてしっかり勉強します😓